■画家略歴

中村研一・中村琢二、写真

中村 研一  略歴
明治28年(1895) 5月15日、福岡県宗像郡に生まれる
 
32年 4歳。祖父母のもとに預けられ、中学卒業まで宗像で過ごす。)
42年 福岡県立中学修猷館に入学、三輪寿壮、日高信六郎らと出会う。児島善三郎らと「パレット会」で活躍。
大正3年 修猷館卒業。美校受験を志すが許されず、京都に出て鹿子木孟郎の内弟子となる。
4年 20歳。美校受験が許可され上京。本郷絵画研究所に入る。4月、東京美術学校西洋画科入学。
5年 代々木初台にアトリエを建てる。
8年 第8回光風会展に「お茶の水風景」を出品。初入選。
9年 東京美術学校西洋画科卒業。卒業後、神田の流逸荘で生涯1回となった個展を開く。「葡萄の葉陰」帝展初入選。
10年 「涼しきひま」帝展特選。
12年 28歳。パリに留学。
昭和3年(1928) 帰国。滞欧作「裸体」が帝展特選。
 
5年 「弟妹集う」で帝国美術院賞
児島善三郎等独立美術協会を創立。
6年 36歳。帝展の審査委員。
11年 官展は文部省主催となり、文展(文部省主催美術展覧会)となる。
12年 英国王戴冠式を祝う軍艦「足利」に同乗し渡英。
17年 シンガポールからインドシナ旅行。コタ・バルに15日間滞在。「安南を憶う」新文展で昭和奨励賞。「コタ・バル」で朝日賞を受賞
20年 50歳。茨城県の知人宅に疎開。5月代々木のアトリエが焼失。終戦後、小金井市中町に転居、永住。
22年 文部省美術展覧会は日本美術展覧会と改称(文展→日展)
25年 日本芸術院会員に推挙される。
この頃から陶芸に興味をもつ。
昭和42年(1967) 戦争画がアメリカより返還。研一の作品は「コタ・バル」など9点。
8月28日逝去。享年72歳。
中村 琢二  略歴
明治30年(1897) 4月1日、啓二郎、留喜の次男として、新潟県佐渡島相川町に生まれる。兄・研一は28年生れ。
32年 愛媛県新居浜に移る。
36年 6歳。住友惣開小学校入学。
小学4年、父の故郷、福岡県宗像郡宮田村尋常小学校に転校。
40年 10歳。宗像郡東郷高等小学校入学。
43年 福岡県立東筑中学校入学。
翌年福岡県立中学修猷館2年に転校。マネ、モネ、ゴッホ、マチスの絵を知る。
大正4年(1915) 18歳。修猷館卒業。
 
5年 19歳。第五高等学校入学。
6年退学。
7年第六高等学校英法科入学。10年卒。
10年 24歳。東京帝国大学経済学部入学。兄・研一、帝展特選。
12年 26歳。横井美代と結婚。
13年 東大卒業。母・留喜死去。
14年 28歳。父・啓二郎死去。鎌倉名越谷に転居。
昭和3年(1928) 31歳。帰国した研一にすすめられ、画業へ。
 
5年 第1回二科展に「材木座風景」を出品。安井曽太郎に師事。
8年 36歳。鎌倉名越谷にアトリエを構え、終生居住。
12年 長男・良太生まれる。
14年 42歳。「母と子」で一水会賞。
16年、第4回新文展で、「女集まる」が特選。太平洋戦争勃発。
17年 45歳。一水会会員。
21年 49歳。一水会委員。
30年 安井曽太郎死去。
31年 59歳。初個展。
37年 65歳。「画室の女」で文部大臣賞。
翌年、日本芸術院賞。
40年紺綬褒章。
42年 70歳。兄・研一死去。
48年日展参与。
55年日展参事。
56年 84歳。日本芸術員会員。
57年日展顧問。
59年「中村琢二画集」(六芸書房)発刊。
昭和63年(1988) 1月31日逝去。享年90歳。
 
※ 福岡シティ銀行 「博多に強くなろうシリーズ」 41・57から引用


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